カントリーマアムって
お菓子ありますよね。
あのお菓子ってカントリーだとか
マアムだとかって欧米感をどーんと
一方的に押して来るから、
みんながあれは洋菓子だと
思って食べてますけどね、
原材料のとこ見てもらうとわかりますけど
実際のところあれは白あんで出来てるのですよ。
バニラ味って書いてあるのに
目を閉じて食べるとやっぱり
白あんの味しかしないわけですよ。
和菓子なんですよ、どちらかというと。
これは遠い昔にくるりの岸田さんに
教えてもらったことなんですけどね。
今でもときどき思い出しますよ。
思い込みってすげえ怖いものだなあって。
そういうメタファーとしてね。
カントリーマアムなんかからも
学ぶことってあるんだから
学ぶ気になりゃ何からでも学べる
そんなすごい世界で暮らしてんだなあって。
ときどき思いますよ。
「仕事とはやらねばならぬことであり、遊びとはやらなくてもいいことである」。 だがトウェン自身明確に理解しているとおり、本当の教訓は次のことだ。「どうしてもあるものを手に入れたい、と一人の男や少年に思わせるには、それを手に入れにくくするだけでいい」。言い換えれば、私たちが注意力を集中させるものはすべて願わしいものとなる。そして、入手しがたいものはすべて、さらに2倍願わしいものとなる。私はこれを「トム・ソーヤー効果」と呼ぶようになった。
何年もあとに哲学者フッサールのことを知り、彼がこの効果を「志向性」と呼んでいることを発見した。あるものを知覚すると、私は注意力をそれに向けて槍のように投げつける。その一方で、ぼーっと何かを眺める場合は、目に入ってすらいないことも多い。私たちは旅先で思う。見知らぬ、興味深い土地にいるからこそ自分はいま幸せな気分なのだ、と。そうではない。私たちが幸せを感じるのは、自分は今見知らぬ、興味深い場所にいるんだという思い込みが、私たちに知覚という槍を普段の二倍の力で投げさせるからである。
トムが楽しげに塀のペンキ塗りをすることによって、友だちをペンキ塗りに誘い込むとき、トムは彼らをだましているわけではない。友だちは事実ペンキ塗りを楽しんでいるのだ――塀のペンキ塗りはつまらない行為だという思い込みはもはや捨て、自分の情熱をすべてペンキ塗りに注ぎ込んでいるからである。退屈だ、嫌だ、と私たちが思い込んでいるものが人生には多々ある。だが実はそういうものも、私たちが金を払って手に入れているもの以上に退屈でも不快でもない。すべては私たちの態度によって決まるのだ。退屈な人生やわくわくする人生があるわけではない。私たちが退屈したりわくわくしたりしているだけだ。」
『超読書体験』〈上〉 「トム・ソーヤー」から
コリン・ウィルソン【著】 柴田 元幸【監訳】
学研M文庫
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(Reblog from...) 光栄あるペンキ塗り - もともこも鳴き笑い
誤解を恐れずに言えば、以前知人が言っていた「自分は、旅行が一番無駄(無駄遣い)だと思う」という言葉の理解にもつながると思いました。
その観光地が地元である人にとっては、その絶景や環境が当たり前になって喜べない。一方で、同じ景色を見て喜ぶ観光客。
志向の槍は、いつもこの手に備わっています。喜べないのでなく、「喜ばない」ことを自分で選んでいるわけですね。 逆境の渦中で、いかにこの槍を使えるかが肝だと思いました。
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